秋の散歩に、隣町の公園へ。
落ち葉やどんぐりを見つけながら歩いたら、地面にたくさんのゴミが落ちていることに気付きました。

とくに多かったのはタバコの吸い殻。
拾っても拾っても、まだある。
子どもたちは棒を使って、川に沈んでいる缶を拾い、地面に埋もれた吸い殻をかき出し、コツコツ集めていきました。

量の多さに大人も子どもも驚き、
「もし、ひろい食いしちゃう自分の犬と散歩してたら…」
その想像だけで、胸がぎゅっとなります。
タバコは小さな命にとってとても危険。
そう思うと、ただの“汚れ”ではなく、心がざわつく怖さがありました。

翌日、子どもたちの日記には、こんな言葉が綴られていました。

「たばこが拾いきれないほどあった」
「ビールの缶やペットボトル、バナナの皮、枝豆もたくさん落ちていた」
「犬が食べたら危ないと思った」
「だからぼくはゴミを拾うことにした」

HSCさんは、景色の美しさに気づけるだけでなく、
悲しさや危なさにもまっすぐ心が反応します。

見えてしまったものを、見えなかったふりができない––
その感受性が、子どもたちにゴミ拾いをさせたのだと思います。

誰かに言われたわけでもなく、
「気になってしまったから動く」。
それは、やさしさの形であり、社会を静かに支える力です。

子どもたちが拾ったゴミの分だけ、
公園は昨日より少し安心で、少しきれいになりました。